立ち止まらぬ「快社=会社」

高橋練染株式会社 松田隆年

「世の中に1mmでもお役に立つ」

創業74年目を迎えた弊社は今、コロナ禍の世の中に「抗ウイルス加工」の生地を出荷し続けている。まさかこんな日常が来るとは・・誰も想像していなかったに違いない。

3代目代表取締役社長 髙橋聖介の口癖は、「世の中に1mmでもお役に立つ会社」。この信念を持って約20年間、平成の荒波で会社を切り盛りしてきた。目まぐるしく変わりゆく業界図は、新型コロナウイルスの感染症災害で更なる変化が到来しており底が見えない日々が続いている。大手アパレルメーカーの倒産、緊急事態宣言の再発出、この災害トンネルを抜けた世の中でもお役に立てる会社であり続けるように!

弊社は日々精進を続けている。

図1 高橋練染株式会社 社屋(平成30年)

「職住一体」の町、京都

「どん底に大地あり」戦後の焼け野原になった日本で、復員した「高橋勇」は、妻や息子2人と対面し生き抜いた喜びとこれからの生活を考えた。「何もかも焼けてしまったこの国で何が必要なのか?」「どんな仕事をして家族と生き抜いていくのか?」「今、必要な物!」

そこで、創業者「高橋勇」は、「衣食住に関わる仕事」として、戦前に丁稚奉公で学んだ和装産業の精練業「高橋練染」を1945年に創業した。戦後の復興に後押しされ順調に事業を進め1948年には高橋練染株式会社を設立する。

創業者 高橋 勇(1906〜1984)
図2 創業者「高橋勇」

京都の繊維産業は、古来から分業制度が根強く今も続いている。和装産業の着物を例に取ってみても、「糸屋」「織屋」「糊屋」「友禅屋」「染屋」「蒸し屋」「整理加工屋」「刺繍屋」「染つぶし屋(メーカー)」等など、直接製品を作る商流だけでもそれぞれが得意分野に特化して分業し商いを行っている。さらに特筆すべきは「職住一体」と言う勤務形態である。

職人町らしい風景は、「製造の一部分に特化」分業する事で「小さな仕事場」と「住居」を1つの建物で構える事が出来る為、子守をしながらの共働きを実現している。
当時の高橋練染株式会社もご多分に漏れず「職住一体」の京町屋で、二代目となる「章三」も職場兼住居で家業を手伝う学生生活を送っていた。

高度経済成長と「技術のバトン」

大学を卒業した「章三」は、和装産業の家業に就職し日々配達の傍ら呉服メーカーが立ち並ぶ「室町」を市場調査して廻っていた。情報戦の始まりである。

服飾文化が大きく転換を始める1960年代に入り「章三」は、長年の市場調査から「新しく起業してきた洋装業界がプリント後の整理加工をわざわざ愛知県一宮などの他県に依頼している」と言う情報を入手し大きな決断をする。

実質2代目を襲名している「章三」は、創業者から学んだ和装産業の精練技術をリレーのバトンの様に引き継ぎながら、洋装産業の整理加工業へ業種転換をすると共に、本社社屋建替えと大きな設備投資に着手した。これは「職住一体」の家業から企業への転換点でもあった。

当時の洋装産業技術で叶わなかった加工を和装精練技術が可能にした事で、事業転換は大成功。整理加工業界では京都市内で22社目と言う後発ではあったが、他社とは違う技術、納期を守る姿勢が業績の向上に寄与していた。そして1966年、従業員が80人の中小企業に成長した弊社に、3代目となる「聖介」が誕生した。第二期ベビーブームと共に洋装産業は成長期を迎える。

※日本経済が飛躍的に成長を遂げた高度経済成長期は、1954年(昭和29年)12月(日本民主党の第1次鳩山一郎内閣)から1973年(昭和48年)11月(自民党の第2次田中角栄内閣)までの約19年間である。この間には「神武景気」や「岩戸景気」、「オリンピック景気」、「いざなぎ景気」、「列島改造ブーム」と呼ばれる好景気が立て続けに発生した。

「海外生産依存率99%の荒波へ」

昭和バブルが崩壊した平成の洋装繊維産業は、海外生産海外縫製の時代に突入し生産拠点の国外流出が止まらない状態が始まった。ミレニアムで沸く2000年には、海外依存率66%を超え同業他社は次々に廃業倒産へと不況が深刻化していた。

この頃、大学を卒業し弊社に就職した「聖介」は、常務取締役として現場でバリバリ働いていた。ある日、父(二代目 代表取締役社長 章三)と専務(章三の弟)に社長室に呼ばれ「明日から二人とも入院するからお前が社長になれ」と切り出される。三代目代表取締役社長に就任した「聖介」は、自分より年上の社員に囲まれながら「入荷量減」「売上減」「人員過剰」の三重苦に苦しみながら這い上がる手段を模索する。

「令和の後継者」

製造業においての後継者問題は、「後継者が家業に魅力を感じているのか?」が重要ではないだろうか?近年、大学進学率が上昇傾向にあり2020年は過去最高の58.6%(出展:文部科学省2020年度学校基本調査)であった。それに伴い職業選択の幅も広がり故郷を後にする後継者予備軍も増加していると思われる。それでもなお、先代が築いた会社に就職を希望する後継者こそが、多難な時代にも船を漕ぎだす勇気を持った経営者になるべき後継者ではないだろうか?会社規模に関わらず、現代の会社経営は常に嵐の中で舵を任される船頭である。

目的地をブレることなく見極め、従業員のみなさんにその意思を理解してもらい、一丸となって突き進む船頭は、必ずや後継者として認められる経営者に育つものと考える。ある国王は、「国とは人なのだ」(民が居てこそ、国であり国王である)と言う言葉を残しているが、会社も同じで「従業員さんがいてこその会社であり社長(経営者)である」。

平成の後継者「三代目代表取締役社長 聖介」が就任の際、一番苦労した事はまさに従業員さんとの確執であった。後継者よりも長い期間従事している熟練従業員さんに認められなければ、技術を含めた会社継承にはなりえないからである。三代目となった「聖介」が、就任後直ぐに行った改革は「力量試験」。

熟練従業員さんに媚びる事なく、すべての機械をすべての従業員さんに使わせてその力量を測った。「聖介」が行った力量試験は、各機械で規定量と合格作業時間を決め測定するというもので、高齢化している人材の活用構想と減少し続ける入荷量のバランスを知る為であった。「たとえ、海外生産依存率99%になっても持続できる会社にする為に!」を目標に荒波で舵取りを継承した若き後継者であった。

「京都ブランド誕生」

三代目代表に就任しても現場に立つ「聖介」は、「会社の主力商品が分業制度の一翼では提供する技術を値上げすることも、独自に営業努力することも出来ない。」と考え、先代から継承した技術と言うバトンの活かし方を模索していた。

そんなある日に聖介は、高校の同級生が代表を務める西陣の織屋「菱屋善兵衛」で蔵の大掃除に駆り出される。創業1804年の蔵には、第二次世界大戦以前の所蔵品がきちんと整理されたまま多数眠っていた。朝から男6人で蔵の中身を運び出し昼を超えた頃、空っぽになった蔵の天井に違和感を覚えた「聖介」は、近くにあった棒で天井をつついてみると、「パタン!」とめくれた天板の向こうに木箱の山が見えた。「何やあれー!」と大声で叫ぶ「聖介」に、表で休んでいた男達が集まった。梯子をかけてゆっくり下したその木箱は、茶葉が入っていたと思われる箱でとても重くしっかりした物だった。「聖介」が木箱を開けると、中にはぎっしり詰まったA5サイズ位の紐で製本された文献?が入っていた。傷めないようにおそるおそる1冊を抜き出して開いた「聖介」の目に飛び込んだのは、明治期に版画で出版された「帯の図案集」だった。「素晴らしい・・・」声を失ってページをめくる「聖介」は、ページをめくる度次々現れる図案の数々に見惚れ・・・一言つぶやく「これや!」。織屋代表を務める友人に「この柄、貸してくれ!」と頼み2,000柄にも及ぶ明治、大正期の図案を借用し高橋練染株式会社にseisuke88事業部を起業する。

当時の洋服業界では、例え弊社が数々の技術を所有していても、洋服メーカーの注文書に記されなければ製品に使われることは無く、同様の技術を必要としても「先加工(糸加工)」で生産するのが当たり前で、弊社の様な「後加工」では前例が無く注文をもらうことが出来なかった。「聖介」は、先代から継承した技術の粋を「後加工」で施した「弊社独自ブランドseisuke88(※1)」の洋服を作り、洋服メーカーや小売店舗に直接営業を開始した。

継承された技術は、製品にすると「真新しく」「斬新な」生地風合いとして評判を呼んだが洋服メーカーからの加工依頼はなかなか来ず、理由が「後加工」だからなどと揶揄された。しかしながら、歴史ある柄とブランドコンセプトが功を奏し小売店舗での販売は順調で直営店舗を京都本店、東京駅中グランスタ店、吉祥寺駅中アトレ店と次々に出店、京都商工会議所など数々の団体から講師を依頼され、テレビの取材を受けるほどに成長した。

seisuke88ブランドの立上げで「聖介」が学んだ事は2つ。

  1. 商標登録したブランド(名前)の大切さと力。
  2. 服地プリント業界が持つ「後加工」への偏見の深さ

(※1)seisuke88
<ブランドのコンセプト・ルール>
「借用した図案に敬意を払い、図案は変えない」
「配色と大きさを今風に変えるだけで、現代に通用する図案にする」
「国内生産」「京都ブランド」
と言うブランドルールを決めた。
今や商品パッケージに「京都」と付けるだけでは目立たない程、市場に「京都ブランド」があふれているが、立上げ当時2002年の売場では大変珍しく「京都ブランド」の先駆け商品になった。

図4 seisuke88ブランド商品

「再挑戦!」

seisuke88ブランドが落ち着いてきた2014年、「聖介」は「繊維製品の中でプリント服地が占める割合は1%未満。もっと世の中の為になる後加工はないのだろうか?」と考える中、繊維の評価機関である「繊維評価技術協議会」が制菌加工(※2)の認証を進めている情報を入手「後加工」で制菌加工(赤)の認証が受けられる様な薬剤の開発を始める。

この時から「聖介」の、新たな目標「後加工で制菌加工の白衣」への再挑戦が始まった。目標である「制菌加工(赤)」は、医療系白衣や、介護施設向けと言った特定用途にのみ表記して販売が許されるプロスペックで、性能は「特定の菌の増殖を抑制する事」「50回洗濯しても性能が持続している事」である。

早速、市販されている薬剤を数々試す聖介であったが、性能を出せる薬剤が見つからず前途は多難。仕方なく独自に薬剤の開発を始めることになった。ここで着目したのが銀のラジカル効果。ナノ化した純銀を安定化させることに成功しこれを熟練のバインディング技術で生地に固着させ対洗濯性能を持たせる。再挑戦開始から2年、試験機関での性能試験で50洗に合格し製品化への準備を進める。

ここで「聖介」は、seisuke88でのブランディング経験を活かし、ナノ化した銀には「進化銀®」、ブランド名を「KOKORO CARE®」と命名し、商標登録を取得。生産する商品も洋服ではなく制菌加工(赤)(※3)の「マスク」や制菌加工(橙)(※4)の「つま先キャップ」と、本業の生地整理加工ではない業界からのスタートを準備した。(2016年)

また、「後加工」に使用する自社開発の薬剤「進化銀」も除菌剤としてスプレーボトルで製品化、衛生商材メーカーとしての再出発である。

(※3)制菌加工(赤)とは、繊維状の菌の増殖を抑制する加工。医療、介護の特定用途に販売する商品にのみ表記が可能。必要な対洗濯性能50回。
(※4)制菌加工(橙)とは、繊維状の菌の増殖を抑制する加工。一般用途に向け販売する商品に表記する事が出来る。必要な対洗濯性能10回。

図5 SEKマーク制菌加工(赤:特定用途、橙:一般用途)

「抗菌じゃない」

67番目に制菌加工の認証を取得した弊社であったが、世の中に制菌加工の商品は殆ど皆無、それどころか認知度も低いため「抗菌じゃないのね!」と言われる始末。「抗菌」は菌が増えにくい加工の事で、結論として菌は増えます(笑)。

そんな逆風の中、「制菌加工」に魅力を感じてくださったのが大手キャラクターメーカー様で、子供達が大好きなキャラクターグッズの布製品を全てご発注頂いた。本業の仕事ではなかったが、大きな売上に社員と喜んだ聖介であったが、大手の品質管理課はとても厳しく、「進化銀」での制菌加工に弱点が見つかる。

図6 制菌加工と抗菌加工と標準布の菌培養時における菌数推移

「ピンチはチャンス!」

サンプルを納品すると、大手メーカーの品質管理課から即座に問い合わせが来た。「キャラクターの白い顔が少し黄色いので直してください。」先方は、大きな問題と捉えておらず簡単に直るものと思って依頼して来られたのだが、弊社では大問題であった。「進化銀」は純銀が主成分の為、紫外線に当たると析出(せきしゅつ)して薄い黄色に変色する事がわかっていたからである。ただ変色と言っても真っ白がオフホワイト位になる程度なので、小さな面積なら問題ないと考えていただけに、これを改善する策は用意していなかった。サンプル納品してからの薬剤改良作戦は、時間との闘いであったが希釈する水を変えるなどの工夫で何とか全量納品を完了した。これがきっかけで、「進化銀」では当初目標の「白衣」への加工にはたどり着かないと確信し、次の新薬剤開発を加速させた。

しかしながら、「進化銀」の優れた除菌性能とその持続力を盾に、モータースポーツ業界のヘルメット、つなぎ、ブーツなどの制菌防臭で営業を展開。同時に、旅館組合への営業も開始する事で、京都商工会議所主催の「第7回 知恵ビジネスプランコンテスト」で認定を受ける。(2016年)

「DEOFACTOR」誕生

「進化銀」の薬剤改良作戦から2つ目の新薬剤開発に入り、以前から開発を続けていた天然ミネラルが主成分の「DEOFACTOR(※5)」が誕生した。本薬剤は、無色透明で白物にも使える優れもので、制菌加工(赤)(橙)を取得し消臭性能も保持している。今回は製品化する際に、訴求効果上昇を期待して「GATSBY」ライセンスを使った靴下、インナー、タオルハンカチを新発売。プレスリリースを打ち出して販売を開始した。

「4日間洗わず履いてもニオワセナイ」のフレーズで自衛隊売店にまで納品する程の反響を頂いた。また、白物にも加工が可能な事から、大手ユニフォームメーカーのカタログに「DEOFACTOR加工」と見出しが付けられる程、沢山の商品が生産された。これは、生地加工事業部がプリント服地の分業とは違うお客様からの加工依頼であり「聖介」が思い続けた「新しい繊維製品分野」への加工の始まりであった。またこの翌年「DEOFACTOR」制菌加工は、経済産業省 近畿経済産業局の「ものづくり新撰2018」を受賞する事となる。(2018年)

(※5)DEOFACTOR(デオファクター)
「後加工」で制菌加工や抗ウイルス加工を可能にする薬剤。空気中の酸素を触媒にしてOHラジカルを生成し、菌やウイルスなどの有害物質の分解に効果を発揮する。有害物質を分解した後OHラジカルは、水となって空気中に還元(酸化還元反応)される。

「東京オリンピックとHACCP」

2018年秋、DEOFACTOR制菌加工が着々と浸透してきたころ、大手ユニフォームメーカー様から緊急の依頼が舞い込んだ。「他社に「抗ウイルス加工」を依頼して、5年以上も開発期間を掛けたのに出来なかった。DEOFACTORで「抗ウイルス加工」が出来るようにして欲しい。」と言う依頼であった。

今まで戦ったことがないウイルスへの挑戦だったが、「聖介」はその向こうに広がる2021年食品衛生法改正(※HACCP義務化)や東京オリンピックへの夢がその挑戦を後押しし依頼を承諾した。制菌加工の試験費用でも十分高額であったが、抗ウイルス加工試験はその比ではない上に試験期間が恐ろしく長い!一度試験に出したとしても最短で90日しなければ結果が出ず、合格していなければ次の手を考えなければならない。依頼された開発期限は2019年夏、この期限に間に合わなければ、2020年春のカタログに間に合わないのだ。初めて抗ウイルス試験に出した時は、数回の試験で合格できるのではないか?と、少したかをくくっていた「聖介」だったが、2回3回・・と試験に出すうち焦りが出てきた。

「合格」が、出来ない。

徐々に試験結果を待っている時間が無くなって、次々に試験布を作つては出すの日々が続き、何が正解か分からない!試験費用も莫大になって、後戻り出来ない!と言う窮地に立たされた。何とか初期(0回洗濯)では合格するのだが、対洗濯性能10回洗濯後で、合格が出ない。この時、挑戦を諦めずに続けられたのは、先代から受け継がれた「技術のバトン」バインディング技術があったからこそである。

自社の技術を信じてやりぬいたのは、締め切りギリギリの2019年7月「SEK抗ウイルス加工(※6)」試験に合格。
コロナ災害が問題になり始めた2020年2月にHACCP対応抗ウイルス加工済みユニフォーム「DEOFACTOR Antivirus」の発表会が東京と大阪で盛大に行われた。(2020年)

図9 SEKマーク抗ウイルス加工

(※6)抗ウイルス加工とは、ウイルスを減少させる加工。
 試験は、特定のインフルエンザウイルスと特定のノロウイルスで行う。必要な対洗濯性能10回。

図10 抗ウイルス加工のHACCPユニフォーム発表会(2020年2月)

「技術をバトンに」

地域に根差した企業には、根差すまでの時間と理由が存在する。人は一人では生きて行けず、企業もまた同じである。分業制度が脈々と続く「京都の繊維産業」では、時代の流れに合わせながらも代々継承される技術と時間がこれからの繊維産業を担っていくものと確信する。

弊社も、「聖介」が苦しみながら時代に合わせた「世の中に1mmでも役に立つ会社」の「技術のバトン」を次の代に引き継げる様な魅力的な会社にする為、今日も次の挑戦に挑み続けている。

図11 左から代表「利和」会長「章三」代表「聖介」(2020年)

松田隆年
高橋練染株式会社 社長秘書、総務部長、法務部長、内部監査責任者
2015年入社 KOKORO CARE事業部 営業職を経て、2019年から総務部、法務部の立上げ、ISO9001認証取得申請、商標登録申請、就業規則改定、助成金申請など会社の雑用全般を担当。町工場を上場企業にする夢を持つ。